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「三国志」の政治と思想 史実の英雄たち (講談社選書メチエ)
- 作者: 渡邉義浩
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/06/12
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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諸葛瞻が敗れたのは相手(鄧艾)が悪かっただけという可能性 - Memo.Medamayaki
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侯について。
動画においては「侯」という言い方をしましたが、正しくは「ロウ中侯」と言います。
これは、侯の種類における「列侯」、その中の「県侯」に当たります。
後漢王朝時代においては、侯には列侯と次点の関内侯の二種類に大別されます。
関内侯は列侯と違い、領地などは与えられず、国からの資金(禄)が与えられるのみでした。(例外あり)
さて列侯ですが、三国志には「列侯に封じられた」と書かれる人物が多いですが、これは列侯という名前の爵位が与えられたというわけではありません。
列侯は通常、国から領地(侯国)を与えられ、「領地の名前+侯」と呼ばれるようになります。
例えば郭淮は并州太原郡の陽曲県を与えられたので「陽曲侯」と呼ばれました。
李カクは司隷馮翊郡の池陽県を与えられたので「池陽侯」と呼ばれました。
「列侯に封じられた」とだけ書かれた人物は、どこの地が与えられたかまでは不明だが爵位は与えられたということだと思われます。
この列侯の中にも種類があり、それぞれ「県侯」「郷侯」「亭侯」というものがありました。
上記の郭淮や李カクは県が与えられているので県侯にあたります。
郷侯は、牟郷侯となった許チョやリ郷侯となった馬超などが挙げられます。
亭侯は、漢寿亭侯となった関羽や新亭侯(のちに西郷侯)となった張飛などが挙げられます。
このように、侯には様々な種類があるため、「人臣がなり得る最高の爵位」として、様々な種類の侯(列侯)を総括する意味で、動画内では「侯」と一括りに表現いたしました。この場で補足いたします。
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